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「四人の母との思い出」 連載終了

四人の母 あや子さんとの思い出

私は小学校にあがる前、実母を亡くした。
母が亡くなった後、待ってましたとばかり、父の二号さんだったあや子さんが本妻に直った。

一人娘だった私は、母方の祖父のところでお世話になることになったのだが、祖父は露天商を営んでいて、首から足首まで「刺青」だらけの人だった。

祖父の家は、常に居候している若い衆の間で博打は打つわ、喧嘩はするわで本当に騒がしい家であった。一度、夕食中に喧嘩が始まり、日本刀を振り回した挙句、大怪我をした人がいたが、私はそんな中でも平気でご飯を食べているような、ふてぶてしい子どもであった。

小学三年生の時に行政や学校から、もっとまともな環境で生活するようにと指導が入った。

そこで父は私を、継母であるあや子さんはじめ、あと三名居たお妾さん達に「ローテーション」で面倒みてもらうことにした。

合計4名なので、丁度一週間ずつお世話になることとなった。

継母のあや子さんは、とても几帳面で倹約家だった。それが高じて、かなりの子ども嫌いであった。この人と共に暮らす事は、結構苦痛であったが、それでも美しく掃除された部屋で寝起きや勉強ができたことは、私にとって良かった。しかし、口うるさいのもタマに傷だったので、一週間も暮らすと逃げ出したくなり、次の家に移る日を心待ちにしたものである。

あや子さんが私に言った、心に残る言葉は「大人になったら、女にもてない人と結婚しなさいや。」である。父のことでは内心、忸怩たる思いがあったのだろうと推察される。

口ではあや子さんを「お母さん」と呼んでいた私であるが、その「お母さん」という声は、常に喉の奥に団子を詰まらせたような発音になっていた。

私が結婚して間もなく、あや子さんは肝臓癌で他界した。
亡くなるまでの半年間、病院であや子さんの世話をしたが、今際のきわに「お母さん」と呼んだ時、初めて心からそう呼ぶことが出来た。

そして、「ありがとう、ごめんなさい。」と、心で言って泣いた。


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