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「犬」 連載終了

「犬」

私は、大の犬好きである。
幼少時から、寂しさを忘れさせてくれる唯一の存在が「犬」だったからである。

今日は、一匹の犬との思い出を書こう。

その犬はコリー犬であった。
母校である小学校の近くに、カトリック教会があった。青い目の神父さんが飼っておられた雄のコリー、名前は「ロイ」と言った。

無類の犬好きだった私は、複雑な家庭環境から自分で犬を飼う事が不可能だったため、よく他所さまの飼い犬を可愛がったものである。

教会のロイは美しい毛並みや均整のとれた体型で、本当に素晴らしいコリー犬だった。私に対し、片言の日本語を駆使して話す神父さんは、ロイには流暢な英語で指示を与えていて、それがまた、心酔するほど格好良かった。

また、ロイは賢い犬だった。神父さんの指示に従い、投げたボールを取りに行き、再び神父さんの手に戻す。それを5回ほど繰り返すと、ボールを自らの犬小屋に片付けた。

私は学校の行き帰り、ロイに会いたくて毎日ほど教会に寄っていた。

下校時には、ロイにお土産を持参した。食べずに残した給食のパンである。

ロイと知り合ってから私は常にパンを残し、担任の先生からきつく叱られていたが、可愛いロイに食べさせるためなら、少しも苦にならず、どんなに叱られようが屁の河童であった。

当時はまだ、現在のようなペットブームとは違い、犬の間食に神経を使うことがなかったからか、神父さんも「イツモ、アリガトネ。ロイハ、イトチャンガ、ダイスキネ。」と喜んでくださったものである。

毎日、下校時にパンを持って現われる私を、ロイは教会の板塀に前足をかけて待っていてくれた。

「ラッシー!」と私が呼ぶと、そのフサフサした尾っぽをブンブン振り回した。私は「名犬ラッシー」というお話から、ロイを「ラッシー」と呼んでいた。

「名犬ラッシー」とは、ラッシーという雌のコリー犬が大冒険の末、飼い主のもとに戻るという、犬好きには堪らない内容で、勿論のこと、私も本が擦り切れるほど何度も読み返したお話である。一時はテレビでドラマ化もされていたので、私と同世代のかたならご存知かも知れない。

ロイことラッシーは、私が教えた「おて、おかわり」や「チンチン」をし、千切ったパンを美味しそうに食べ、食べ終わった後、私の目を見つめながら、「クーン、クーン」と甘え声で鳴いた。

そんな楽しい毎日の寄り道は、約三年間、続いた。
小5の秋、神父さんが北海道に行くことになったため、ラッシーとお別れとなった。神父さんは「ロイヲ、モラッテクダサイ。」と言ってくれたが、父のお妾さんの家を転々として暮らしている私に、ラッシーを引き取ることは不可能だった。私はその生い立ちからか、妙に聞きわけのよい子供だった。出来もしないことで駄々を捏ねるのは、家族や周囲の人から嫌われる原因になると思っていたので、諦めるしかなかった。

やがてラッシーは、神父さんの知人である大阪在住の人に引き取られることになった。お別れの日、私は初めてラッシーのリードを持って散歩をさせて貰い、そのフサフサした体を抱き締め、「次の飼い主さんにも可愛がって貰いや。ラッシーやったら、誰にでも可愛がってもらえるで。」と、溢れる涙を拭うことなく、別れの言葉を捧げた。

ラッシーとお別れした夜から、私は40度を超える熱を出し、一週間も学校を休むこととなった。夫々に多忙のお妾さんに看病させることは出来ず、私は亡母の実家である露天商を営む祖父の家で、若い衆に看病して貰いながら、将来は自分の家庭を持ち、絶対に犬を飼うぞと、自分に言い聞かせながら、病を養った。

その後の私は、野良犬を手懐けては廃屋に囲い、餌を運び続けるというパターンで、いろんな犬達と関わりを持つことになった。

父は複数のお妾さんを囲い、その娘の私は、数匹の野良犬を廃屋に囲っていたのである。

これは、「血は争えない」ということかも知れないと思う、今日この頃である。


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