松浦信男メールマガジン 2010年 12月24日 クリスマス特別号 こんにちは!お元気ですか!万協製薬の松浦信男です、メリークリスマスです。みなさんはどのようなクリスマスをお過ごしですか?私は、会社のデスク から、このメールを書いています!さすがに今日は、電話が少ないですね。 さて、本年最終号は、今回はクリスマススペシャルとして、私がつくった「クリスマスソング」をお送りします。下記アドレスをクリックして頂けますと、お聴き頂けます。もし、お気に入りになられましたら、ぜひ、ダウンロードして聴いてくださいね。 ちなみにもちろん無料です!(笑)とってもお気にいられ、もっとほかの曲お聴きになりたい方は、弊社ホームページでも「公開」しておりますので、そちらもどうぞ! ただし、万一、食欲が無くなっても、「後悔」のないようお願いいたします。(笑) 「マザークリスマス」は、下記をクリックして聞いてみてください。みなさんのインストールされているソフトによっては、一度ダウンロードしてから再生になる場合があります。 http://waaa.me/MotherXmas.mp3 Mother X’mas (マザー クリスマス) 私は あなたについて考える Mother Xmas Mother 短い 短い 日射しの中で まだ 季節は 続いているの 小さい頃 あなたに抱かれて踊る 春 春 春 テレビの 曲に合わせて踊る 踊る 踊る 晴れた日 再度山を登る 夏 夏 夏 バラ寿司を いっぱい ほおばって笑う 笑う 笑う 来てくれて とても嬉しかった学祭 秋の日 私の 描いた絵をずっと見てた 遠い日 そして あなたがいなくなった 冬 冬 冬 とても とても冷たい真冬の 雪 雪 雪 答えを求める人に 答えをくれる人が いるなら 教えては くれないか? あなたは 今どこにいるの? Where is Mother? あなたを ずっと 探している 青空 伸ばせば届く 太陽 太陽 太陽 私の 心は少し温かくなる なる なる いつのときでも私の いちばん味方で いてくれた いつか立派な人になりたい この胸に残る まごころ Where is Mother? いつも 私のそばにいて 夜が来て 月は 白い道を 照らす まるで あなたが いるみたい Mother 私は あなたについて考える まだMother 白い雪 想いよ あなたに届け Merry Xmas! Merry Xmas! MerryXmas! MerryXmas! Mother Mother *マザークリスマスについて わたしは、今から3年前の元旦に母を事故で失いました。お正月にお風呂でおぼれたのです。 私の実家は、神戸の兵庫区にあります。正月休みの帰省中のことでした。 母と、二人で紅白歌合戦をみて少しビールを飲みました。 私は母に「僕は今年一年、とても素晴らしい年だったよ。」と言いました。 母はそれに対して「私は、あなたが居てくれたから、幸せだった。」と言ってくれました。 この会話は、本当ならとっくに忘れてしまった言葉だったはずですが、この言葉が私と母の交わした最後の言葉だったので、永遠に忘れられない言葉になりました。 私は大震災以後、神戸を離れていましたので、母に会うのは、年に数回でした。ですから、母の前ではずっと「いい息子」を演じていました。 母は、私と話したその後、新年のために髪を染めるためにお風呂にはいったのです。 大晦日はみんな忙しく、誰もお風呂にはいっていませんでしたので、浴室は寒く、毛染めの時間を寒い浴室ですごし、寒い浴室から熱い浴槽に入った母は、血液が下がり浴槽のなかで意識を失いました。 こういったことは、老人にはよくあることらしく、浴室を暖房装置で、あらかじめあたためてから入るか、もしくは、浴槽のお湯を風呂桶で何杯か、浴室の床に蒔くことで、浴室の温度が上がるので、簡単に防ぐことができます。お年寄りがおられる方はぜひ、教えてあげてください。 私達が浴室内の母を発見したのは、元旦の朝でした。まだ暖かく、眠っているようでしたので父と救命措置をしましたが、だめでした。実際は私と別れた30分後に亡くなっていました。 それ以降、私は母を何故、救えなかったのかと、とても自分を責めるようになりました。母が死のうとしているその時間に自分が同じ家で、いたことが許せませんでした。 元旦にダイエーで喪服を買っているとき、涙が止まりませんでした。 私は地震で、大概の辛い目には、遭ったつもりで居ましたが、これほど、辛いとは思いませんでした。「自分がビールを飲ませたせいだ!」と思っていました。その後、大学病院で検死し、長い時間経ったあとで、母が肝臓ガンの進行によって、腹水がたまり、そのせいで、平衡感覚がおかしくなっていたことが、原因だとわかりました。 私は、母を救う方法を100通り以上、考えましたが時は戻りません。 それ以来、わたしは亡くなった母のことと話したい!と思うようになりました。しかし、当たり前ですが、できるわけありません。夢に何度も母が出てきて、話をします。母ははっきりとは、私の言葉に答えません。 夢から覚めて夜中に目が覚めて、母が死んでいることに気づきます。「ああ、おかあさんは死んじゃったんだ。」と思い出します。そうすると、とてつもなく寂しく、苦しくなり、よく一人で泣いていました。 この歌に「夜が来て、月は白い道を照らす」という所がありますが、これは私の実体験です。夢をみて、目が覚めて、月がでていると、まっくらじゃないので、なんだか、とても救われた気がしました。 たくさん時間が経つうちに、私は、「亡くなった母とは話せないのだから、その分、生きている人ときちんとコミュニケーションをとっていきたい!」と思うようになりました。そのころから私の人に対する接し方は変わってきたように思います。亡くなった母と最後に交わした言葉のように「立派な人になりたい」と思うようになりました。これは自分がそう思われたいというより、母が、今の私をみて、「誇らしい」と思ってくれたらいいな、と思うようになったのです。 今回、勇気を出して、これまでの自分の想いを歌にしました。歌詞のほとんどは、私と母との間に起こった本当のことですが、この歌を聴いてみなさんが、幸せな気持ちになってほしい、本当にそう思っています。 どうかよいクリスマスをお過ごしください。
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