2009年度日本経営品質賞受賞スピーチ (ロイヤルパークホテル水天宮) 2010年2月25日 ただいまご紹介いただきました、万協製薬株式会社の社長の松浦信男です。 このたびは、栄えある日本経営品質賞をいただき誠にありがとうございます。 私は、経営品質が大好きです。ですので今回、この賞をいただけることをとても光栄に思っています。また、このような場でスピーチさせていただけることをとてもうれしいです。また、本日は三笠宮寛仁親王殿下の前でスピーチ出来ますこと、心の底から光栄に存じます。じつは、私の震災からの復活には、皇室の皆様からの様々なご支援のおかげです。震災当時は、すべてのインフラが破壊されてしまい、衣食住すべてに困る毎日でした。そんなとき、天皇陛下ご夫妻がいち早く長田区の菅原市場の焼け跡に来て頂き、私達を励まして頂きました。そのおかげで、政府からの救援物資が長田区にたくさん集まったおかげで、私も再度、がんばってみよう!と言う気になったのです。ですから、いつか皇室の方々にお礼を言う機会がないか、と願っていましたので、こうして今日、お話が出来ることで、ようやく胸のつかえが下りるようです。本当に、有り難うございました。神戸の市民を代表してお礼申し上げます。 さて、おかげさまで弊社は本年3月12日に創立50周年を迎えます。この前に10年前は創立40周年があったのですが、実は創立40周年は、震災からの脱却で「季節を忘れるほど、働いていました。」ので、みんながその日があったことさえ、忘れていました。ですから、創立50周年記念の年にこのようなりっぱな賞をいただけたこと、たいへん嬉しいです。 思い起こしますと、今から15年前の1月17日に起こった阪神淡路大震災において万協製薬の神戸市長田区にあった弊社の本社、工場は、全壊しました。 それから1年後、再起をかけて三重県にたった3人で再起業したのが今から14年前の5月のことです。それが、いまや授業員が100人ちかくになり、売り上げが三重県での業務再開当時の約50倍になりました。本当に、夢のようです。 弊社は、自社の事業を「メディカルスキンケアアウトソーシングソリューションサービス」と呼んでおります。これは、医薬品や化粧品のスキンケアの分野で、顧客の抱える問題を一緒に解決していこうとするコンサルティングセールスのことです。しかしながら、平たく言えばこれは、医薬品下請け加工業のことですね。 これは実は、震災の時に工場を失った「弊社の製品」を作ってくれる会社がなかったことから考えて、できたビジネスモデルなんです。 私は神戸の震災のすぐあと、万協製薬の実質的な経営者になりました。当時32才のことです。しかしながら事業再開のめどのつかない、いざこざのなかで、わたしは「全従業員解雇」という間違いをおかしてしまいました。そのこと自体は当時としては、会社にとっても、従業員にとっても、最もよい問題の解決法であったようにおもえましたが、同時にその決断が、永く私のこころを苦しめることになりました。 いまでも解雇を言い渡したときの、従業員の「ぽかんとした顔」をわすれることはできません。多分、一生忘れられないでしょう。 私はこの日以来ずっと、「会社って、何のためにあるのだろう?」「組織ってなんだろう?」「経営者は何のためにいるのだろう?」と考え続けてきました。 万協製薬の三重県での再生が成功した理由には、様々な要因があり、この短い時間では語り尽くせません。ぜひこの後続く、二日間のセッションで、可能な限りご説明したいです。どうぞ最後まで、おつきあいください。 ですから、従来、製造業の製品品質が「もの」としての製品を対象としたのに対し、弊社の品質は、あえて「人と組織」を対象としています。ですから、ここが、万協製薬と経営品質との接点となったわけです。 企業の最大のテーマは「永続」だという人がいます。本当でしょうか?皆さんは、本当にそう思いますか?長く続くことだけが、「企業の価値」だとは、私は思っていません。 むしろ、私は「老舗の経営」など目指すことは、経営者自身が、「自己中経営者」だとさえ、考えています。 日本で50年続く会社は1割以下ということですが、「どれだけ続いているか」より「今、あるべき姿」こそを語るべきだと思います。 会社は何のためにあるのでしょう?経済学の教科書は、「会社の目的は利潤の極大化」と書いてあります。しかし、これでは「動物以下」だと私は思います。動物は生きるために、他の生物を殺めますが、「生きる以上は殺めない」からです。「1円でも多く稼ぐ」会社の姿は、間違っています。本来のの人間のすがただとは、考えにくいです。では、会社の目的とはなんでしょう?私は、こう思います。会社の目的は「生計の手段」「社会との絆」そして「自己実現の場を与える存在」でありこれらの大半は、そこで働く社員のためのものです。 また、私達の「会社」の周りには「地域社会」があることを忘れてはいけません。 そう考えれば、「社員教育は、地域への最大のエンパワーメント」と考えられないでしょうか。 弊社の経営品質向上活動は、2003年度からはじまりました。この活動は、「顧客」「社員」「会社」の「等しい協働」が目標で、私達で、始めた経営革新活動でしたが、はやいものでもう足かけ7年になります。このあいだに弊社は、4回も経営品質賞をいただきました。 三重県の経営品質賞の奨励賞、優秀賞、と一歩ずつ歩いてきた道を今、愛おしく感じています。この経営品質向上活動は、一度組織づくりをあきらめていた私に、再び社員との「絆」をとりもどしてくれました。申請書の記述を通して、どんな想いも過去も従業員に伝えていきたいと思うようになりました。申請活動を通じて、「震災までの自社の歴史を社員に語れるようになったこと」、このことが一番うれしいことです。 2009年3月には、三重県経営品質賞「知事賞」、そして今年、2010年2月には日本経営品質賞と、1年に2つの経営革新賞を受賞する事が出来ました。 多くのかたから、お褒めの言葉を頂くのは、経営者として大変嬉しいことですが、一番嬉しいのは、 実は、これらの受賞を通じて、私達万協製薬の社員が「誇り」を持つようになったことが、一番嬉しいことです。 弊社社員の多くは「中途採用」ですが、彼らは、「万協製薬で自分のあるべき姿を見つけられた。」と言ってくれます。私達は、優しさと気づきあうことを大切にし、常に快活明朗な組織風土の形成に努めています。私が言いたいことは、「人生は、卒業した学校や初めて就職した会社では、決して決まらない!」ということです。 今日は、13名の従業員が参加してくれています。起立を促す。(従業員紹介)今日の拍手は、私にではなく、彼らにこそ、ふさわしいものだと思います。日本経営品質賞を受賞することで、彼らが少しでも自分を誇らしく思ってくれれば、とてもうれしいことです。 私は以前、自分の三重県での事業を、「地震によって失ったものすべてへの復讐」と考えていた時期があります。阪神大震災で、神戸市民は6,500人近くの人が亡くなりました。わたしのふるさとである、兵庫,長田地区はとりわけたくさんの人が亡くなりました。また、生き残った人も15年のあいだに、多くのものを失い、生きる力をなくしていきました。 わたしはずっと「そんな神戸の人たち」の分まで、生きて行くつもりでした。苦しくても決して、あきらめない!と自分に言い聞かせてきました。神戸は離れましたが、三重の地で、むくわれない、彼らの人生を背負って生きて来たつもりです。 「世界中の人が、忘れても決して、わたしは忘れない!」そんな気持ちでした。 今年になって、震災15年の記念のさまざまな番組をみて、実に多くの人が、わたしと同じ気持ちであったことに、救いを感じました。「いつまでも、過去に生きている人間」のように、自分を考えていたからです。 しかしながら、わたしは、ずっと、社員には申し訳ない気持ちでした。 自分にとって、社員をそのような復讐につきあわせているという「すまなさ」がありました。しかし経営品質向上活動をつづけていくうちに、そのテーゼのひとつである「社会への貢献」という言葉から「彼らこそが、復讐に生きている呪われた私」を救ってくれた人たちだと解りました。 ですから、彼らを地域社会のリーダーに育てていくことが弊社のもう一つのミッションであると思います。私の尊敬するピータードラッカーは「経営者に贈る5つの質問」という著書のなかで、こういっています。我々のミッションとはなにか? 我々の顧客は誰か? 顧客にとっての価値は何か? われわれにとっての成果は何か? われわれの計画は何か?と。このシンプルな問いかけの中に組織が成長する手段がある、と言っています。言い換えれば組織は全て人と社会をより良いものにするためだけに存在するべきなんです。 だからこそ、ミッションや目的や存在理由が必要なんです! 私達に企業活動を通じた、社会づくりという機会を与えてくれた経営品質に心からお礼をいいたいです。では、本当にありがとうございます!!この感動、一生忘れません。
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