2009/06 「一杯のかけそば」をかけ直す意味について 万協製薬株式会社代表取締役 松浦信男 いままで私たちは過去4年間の長きあいだにわたり、およそ20作品の本を社員全員で同じ本を読み、同じテーマで「読書感想文」を書き、お互いの想いの進化を促してきました。このようなことは、おそらく他社では決して続けられないことであり、このことを実感している社員のみなさんがどのくらいいるかわかりません。 しかし、実は皆さんのパフォーマンス力、理解力、読解力、が最近驚くほど上がってきたことを私は、実感しています。 経営とは実は、「明日を見つける力」をつけることです。これは経営幹部だけがもてばいいということではなく社員全員が持つべき、ちからです。 そんなわけで今回は「新しい物語」をつくることに皆さんに挑戦してもらおうと思っていました。 私は、ある日ネットで「一杯のかけそば」のあらすじを読みました。今から20年前のバブル全盛期に発表されたこの物語は、当時の世相とあまりに違う世界に共感を呼び、ベストセラーになりました。しかし当時は、こういった物語がもてはやされることに私はいい気持ちを持ちませんでした。 バブルも貧困も裏返せば、同じ「こころの貧しさ」であるように感じていたからです。 でももしかすると、バブルに全然関係なかった自分だったからかもしれませんが。 偽者の繁栄は続きませんでした。その後、しばらくしてこの国のバブルは崩壊しその後、日本経済は長い不況のトンネルにはいり現在に至ります。トンネルのなかで、私たちは成長したでしょうか?減税があるという理由だけで特定の車種のエコカー購入に走る体質をみると日本人の日和見の体質は変わっていないのではないでしょうか? 発表後20年たって、「一杯のかけそば」を改めて読んでみると、あまり違和感がなくなっていることに気がつきました。しかしながらわたしは今でも、この物語が好きではありません。ですから皆さんにこのものがたりを書き換えてみませんか?と提案したわけです。 わたしのこの奇天烈(きてれつ)な提案に皆さんはすばらしい想像力で答えてくれました。 本当にありがとう!誰かが言っていましたが皆さんは、本当にすばらしいバカです! こんなに笑ったり、感心したり、感動したことは久しぶりです。 万協製薬を三重県で再起業して本当によかった。皆さんといっしょにこれからも 「地球船 万協号」で冒険を続けたい!と思います。 これを読めば、あなたもきっと同じ気持ちになりますよ。 こういうことできる会社ないでしょうねえ。というか、著作権法違反という気もしますが、、、、。 かけそばの作者さん、ごめんなさい!!!ですからこっそり読んでくださいね!(笑) どうぞ、すばらしい物語の数々をお楽しみください。 課題:下線部を自分の考えたストーリーに置き換えてください。 一杯のかけそば 所属 代表取締役 松浦信男 ある年の大晦日の晩、札幌の「北海亭」という蕎麦屋に子供を二人連れた貧相な女性が現れる。閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると、母親が「かけそば(具の一切ない、他には汁だけの蕎麦)を1杯頂きたい(3人で1杯食べる)」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は出された1杯(1杯半)のかけそばをおいしそうに分けあって食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった北海亭のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。 実は、この蕎麦屋が1.5人前のそばを振る舞ったのには理由があった。主人はこの大晦日をもって北海亭を廃業しようと考えていた。チエーン店舗の飲食業が増えるにつれ、古くさい蕎麦屋には客足が途絶えて、久しかった。どうせ捨てるだけだからと言う理由で、蕎麦を多めに盛ってやったのだった。最後の最後になってまでこんな貧相な客を相手にすることに、主人は天を恨んだ。母子はそんな主人の気持ちなど察する様子もなく蕎麦を仲良く食べ終わった。「ああ、おいしかった!こんなに幸せなことはなかったな!」と兄のほうが言った。それを聞いた母は、「心を込めたものには美味しくないものはないのよ。」と言った。それを聞いた主人は少し意地悪な気持ちになった。「あんたたちに蕎麦の味がわかるのかい?」それを聞いた弟は、「そうだね。でももう少し丁寧にだしを取れば、もっとよくなると思う。」と言った。「おまえ達に何がわかる!そんなにうまけりゃもっと客が入るってんだ、どんなに俺の蕎麦が不味いか教えてやる!」そういって主人は厨房にはいり残りの材料で、さまざまな種類の蕎麦を作り始めた。たぬきそば、天ぷら蕎麦、ざるそば、かもせいろ、にしん蕎麦、もうやけくそと言った感じでそれらを次々に母子のテーブルに並べた。母子はそれらすべてを実に見事に平らげて見せた。とうとう主人は用意したすべての蕎麦を使ってしまった。母子は「やっぱり美味しい店だよね!」といってかけそば1杯の代金だけ払って店を出て行った。一人残された主人は、厨房で考え続けた。本当に自分の蕎麦は不味いのだろうか?さっきの天ぷらはこうすればもっとうまく揚げられたのじゃないか?などなど考え出すと止まらなくなった。それは彼がこの店を始めた時の気持ちに似ていた。除夜の鐘が鳴った。新しい年が始まろうとしていた。主人は、目を閉じてじっと考えた。そうして夜が明ける頃、店を閉めるのを延ばそうと決めた。 新年があけて主人はもう一度真面目に蕎麦を作り始めた。そのことが彼にとって転機となった。努力を続けるうちに次第に遠のいた客足がすこしづつ戻りだした。一年が経った翌年の大晦日には、口コミの客で店内は満員になった。主人はあの日以来出前をやめた。もしかしたらあの母子がもう一度店にくるかもしれなかったからだ。もう一度きたら自分の非礼を詫び、もう一度心を込めた蕎麦を食べてもらおうとおもったからだ。出前に出たせいで母子に会えなくなることは避けたかった。大晦日の日、とうとう母子はやってこなかった。翌年もその翌年も母子は店に来なかった。何年も経つうち主人は次第に、「あの母子は天が、自分に正しい道を教えるためにやってきたのではないか。」と考えるようになった。5年が経ったある日、主人は店の看板を書き換えた。北海亭から親子亭に。そうして店のメニューに真ん中に一番大きな字で「かけそば」と書いた。あの母子づれは二度と店に来ることはなかったが、主人は親子連れの客をそれからも、とても大事にした。
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