はじめに このたび、三重県経営品質賞の知事賞の受賞に際して、過分なお祝いをいただき本当にありがとうございます。お客様をはじめとしてビジネスパートナーや多くの友人のかたから、様々なお祝いの言葉を頂きました。せっかく良い言葉をたくさん頂きましたので弊社社員の感想と共に、文集を作成いたしました。ぜひご一読賜れば幸いです。当日の慌ただしさの中での発言ゆえ不適切な表現もあるかもしれません。なにとぞ、ご容赦ください。 現在、弊社は日本経営品質賞への申請に全力で取り組んでおります。このたび、頂きました皆様からの御言葉が現在の弊社の原動力となっています。今後ともよろしくお願いいたします。また今回頂きました皆様からのお祝いにつきましては、全額、弊社の立地する多気町の子育て支援に寄付させて頂きました。重ねてお礼申し上げます。 2009年4月吉日 万協製薬株式会社 代表取締役 松浦信男 では最初は私の当日のスピーチから始めたいと思います。 2009年3月16日三重県経営品質協議会表彰式スピーチ 「未来は予測できないが、切り開くことが出来る。私たちにはきっと出来る。」 We Can not Predict The Future, But We Create It. Yes We Can!! ただいまご紹介いただきました、万協製薬株式会社の社長の松浦信男です。 このたびは、三重県経営品質賞の最高賞である「知事賞」をいただき誠にありがとうございます。この場所に立ちますと、ちょうど1年前にこの同じ会場で、優秀賞をいただいた日が昨日のように思い出されます。 岡本先生、三重県経営品質協議会委員長の長友さん、運営委員の皆様、また本日、お忙しい中お集まり頂いた多くのお客様、ビジネスパートナーの皆様、本当にありがとうございます。また、本日は本当にたくさんのかたに来て頂いて三重県経営品質協議会の一員として心からお礼を申しあげます。たくさんの人に来て頂き会場が狭くて、申し訳ございません。 私は、三重県経営品質協議会が大好きです。日本で一番好きな会です。ですのでこういった賞をいただけることならびに、このような場でスピーチさせていただけることをとても光栄に存じております。しかしながら、昨年も言ったことですが、3社で20分というのは中途半端な時間ではあります。 昨年は優秀賞で10分だったのですが、逆に短くなっています!せっかく知事賞とったのに・・・・。せっかくの知事賞授賞式の場ですので、できれば3時間くらい!!いただきたいところですが、今日は時間がないということですので、あきらめます。 あんまり短い、短いといっていたら、今年の夏、「受賞報告会」というのを別に開いて頂けるとのことで、そのときは3時間いただきたいと思っています!あと、残念なのはこの賞、1回しか、頂けないということなんです。皆様からいただいた受賞メッセージのなかには「来年も知事賞期待しています!」というのがありました・・・。 しかしながら、せっかくの機会ですのでできるかぎり弊社についてお話をしたいと思います。 思い起こしますと、今から14年前の1月17日に起こった阪神淡路大震災において万協製薬の神戸市長田区にあった弊社の本社、工場が全壊しました。 それから1年後、再起をかけて三重県にたった3人で再起業したのが今から13年前の5月でした。それがいまや授業員が100人ちかくになり売り上げが三重県での業務再開当時の約50倍になりました。当初製薬会社を3人で再生することを認めて頂いた、三重県薬務食品室の皆様、弊社を誘致頂いた多気町の企画調整課の皆様ありがとうございます。このお二方が無ければ、いまこうしてここで私はスピーチしていませんでした。 弊社は、自社の事業をメディカルスキンケアアウトソーシングソリューションサービスといっておりまして、医薬品や化粧品のスキンケアの分野で、顧客の抱える問題を一緒に解決していこうとするコンサルティングセールスです。平たく言えば医薬品下請け加工業です。 これは実は、震災の時に工場を失った弊社の製品を作ってくれる会社がなかったことからできたビジネスモデルです。 私は神戸の震災のすぐあと万協製薬の実質的な経営者になりました。当時32才のことです。事業再開のめどのつかない、いざこざのなかで、「全従業員解雇」という間違いをおかしてしまいました。そのこと自体は当時としては、従業員にとっても、最もよい問題の解決法であったようにおもえましたが、同時にその決断が、永く私のこころを苦しめることになりました。 私はそれ以来ずっと、「会社ってなんだろう?」「組織ってなんだろう?」「経営者って何だろう?」と考え続けてきました。 万協製薬の三重県での再生が成功した理由には様々な要因がありこの短い時間では語り尽くせません。これにつきましては弊社の経営品質報告書をお読みくだされば、お解りいただけるかとおもいます。弊社ホームページにて公開しておりますので、ぜひご覧ください。 申請書にかかれている弊社のすがたは、企業再生が軌道に乗りだした2003年以降のものですが、なぜか私はそれ以前の時代のことをよく思い出します。 私が、初めて三重県に来た当時、多気町はいまでも静かですが、当時はもっと静かなところでした。多気に来てしばらくたった頃のことです。震災以来1年間、自社では製造をしていませんでしたので、当初は全く仕事がありませんでした。仕事どころか、来客も電話もありませんでした。 朝から会社にでて、会社の周りの草引きをしたり、片づけをしたりしても昼過ぎにはやることが無くなりました。弊社の第一工場は入り口が階段になっているんですが、そのうちに私は夕方になるまでなるとそこに腰掛けて、ビールを飲みながら時間を過ごすようになりました。自分の心を反映しているのでしょうか、なんとなくものかなしい風景でした。 そんなことをしばらく続けていたある日です。いつものように夕方を迎えた山の端をみていると、ちょうど夕日がくっきりと落ちていく姿が見えました。「ああ、僕の人生もここで、人知れず終わっていくのかもしれないとおもいました。」しかしながら、その日の夕焼けは、それだけに終わらず、とても美しいものでした。「この夕日をこの角度から見ているのは、日本で自分だけだろう」と思いました。わたしの工場の後ろは山でしたから、他の誰も見ていないのです。そうするとなんだか寂しいと言う気持ちより、「得をした」ようになったのです。 それからも毎日、入り口に座って夕日をみるという習慣は続いたのですが、だんだんとそれをみているうちに美しさが毎日変化していくことがわかって、楽しくなってきました。 そして、そのうちに、この多気町でもう一度、自分が美しいと思うもののために、生きてみようと私は思うようになりました。そしてそのことは、自分だけが良いと思うことを見つけることから始まって、それを多くの人と共有する行為に、ほかありませんでした。 ですから、製造業の製品品質が「もの」としての製品を対象としたのに対し、弊社の品質は人と組織を対象としています。ここが、経営品質との接点となったわけです。 弊社の活動は2003年度からはじまりました。奨励賞、優秀賞と一歩ずつ歩いてきた道を今、愛おしく感じています。この経営品質向上活動は一度組織づくりをあきらめていた私に、再び「絆」をとりもどしてくれました。 申請書の記述を通して、どんな想いも過去も従業員に伝えていきたいと思うようになりました。このことが一番うれしいことです。今日は午後から仕事を休業して大半の従業員が参加してくれています。(従業員紹介)今日の拍手は、私にではなく、彼らにこそ、ふさわしいものだと思います。 この経営品質賞の知事賞を受賞することで、彼らが少しでも自分を誇らしく思ってくれれば、とてもうれしいことです。私は以前、自分も三重県での事業を地震によって失ったものへの復讐と考えていた時期があります。そのころ社員は自分にとって、そのようなことにつきあわせているという「すまなさ」がありました。 しかし経営品質向上活動をつづけていくうちに、そのテーゼのひとつである「社会への貢献」という言葉から彼らこそが私を救ってくれた人たちだと解りました。彼らを地域ノリーダーに育てていくことが弊社のもう一つのミッションであると思います。 私の尊敬するピータードラッカーは「経営者に贈る5つの質問」という著書のなかで、こういっています。 我々のミッションとはなにか? 我々の顧客は誰か? 顧客にとっての価値は何か? われわれにとっての成果は何か? われわれの計画は何か?と。このシンプルな問いかけの中に組織が成長する手段がある、と言っています。言い換えれば組織は全て人と社会をより良いものにするために存在する。だからこそ、ミッションや目的や存在理由が必要であるともいえます。 私に企業活動を通じた、社会づくりという機会を与えてくれた経営品質に心からお礼をいいたいです。 特に三重県経営品質協議会は大企業や中小企業といった様々な方の参加もあり様々な職種のかたが一堂に集まりワイガヤとできます。弊社では従業員教育の重要なツールとなっています。 私が三重県に来て良かったことが2つあり一つはメディカルバレー事業、もう一つは三重県経営品質協議会です。ですから、この賞は協議会の会員のかた全ての方のおかげでとれたものと考えています。この次は「日本経営品質賞」に挑戦します。この意味は、三重県経営品質協議会が日本で一番素晴らしい会であることを広く世間に知らしめるためです。あと岡本正秋先生についても一言言わせてください。 私はドラッカーと同じくらいというか、先生を日本のドラッカーと思っています。といっても薬物中毒という意味では、ありませんよ!言ってみれば万協製薬も薬を作っている会社ですからドラッカーといえるかもしれません!! 冗談はさておき、私と先生は愛知万博についてのテーマ議論によって仲良くして頂くことになったのですが、先生の「子供のように真実を追究する姿」が大好きです!こどもといってもいたずらっ子ですけどね。岡本先生の教えによってひとりでも多くの方が自信をもって人生を歩めるようになってくれれば良いと思います。ですから、岡本先生、いつまでも三重県を見捨てないでください!! あと先生について話し出すと、終わらなくなりますので、この続きは今日の5時からのパーティでやりたいと思います。皆さん、お楽しみに!では、本当に知事賞、ありがとうございます!!この感動、一生忘れません。
「ハートフル通信」は、わたくし松浦信男がお届けする、“長すぎる”として評判のメルマガです。
1週間の近況のほか商品の紹介もさせていただく場合もあります。
ぜひ、ご登録ください。登録はパソコンからのみとさせていただいております。