「組織のワクから社会のワクへ」三重県経営品質賞 優秀賞スピーチ2008年3月4日 ただいまご紹介いただきました、万協製薬株式会社の社長の松浦信男です。 このたびは、三重県経営品質賞の優秀賞をいただき誠にありがとうございます。この場所に立ちますと、ちょうど二年前にこの同じ会場で奨励賞をいただいた日が昨日のように思い出されます。 岡本先生、三重県経営品質協議会の皆様、また本日、お忙しい中お集まり頂いた多くのお客様、ビジネスパートナーの皆様、ありがとうございます。 私は、三重県経営品質協議会が日本で一番好きな会です。好きで愛しております。ですのでこういった賞をいただけることならびに、このような場でスピーチさせていただけることをとても光栄に存じております。10分という時間でスピーチするには、中途半端な時間ではあります。できれば3時間くらいいただきたいところですが、今日は時間がないということですので、あきらめます。しかしながら、せっかくの機会ですのでできるかぎり弊社についてお話をしたいと思います。 思い起こしますと、今から13年前の1月17日に起こった阪神淡路大震災において神戸市長田区にあった弊社の本社、工場が全壊しました。 それから1年後、再起をかけて三重県にたった3人で再起業したのが今から12年前の5月でした。それがいまや授業員が100人になり売り上げが三重県での業務再開当時の50倍になったなんてまるで夢のようです。 弊社のコアコンピタンスは、自社では、スキンケアアウトソーシングソリューションといっておりまして、医薬品や化粧品のスキンケアの分野で、顧客の抱える問題を一緒に解決していこうとするコンサルティングセールスにあります。 これは実は、震災の時に工場を失った弊社の製品を作ってくれる会社がなかったことからできたビジネスモデルです。 三重県に来た当時は、お金ない、仕事ない、知り合いないのないないづくしでした。私は神戸の震災のあとで万協製薬の経営者になりました。当時32才のことです。若かった私はばらばらになった社内をとりまとめることが出来ず、再開のめどのつかない、いざこざのなかで、「全従業員解雇」という間違いをおかしてしまいました。 そのことは当時としては、従業員にとっても、最もよい問題の解決法であったようにおもえましたが、永く私のこころを苦しめることになりました。 私はその日以来ずっと「会社ってなんだろう?」「経営者って何だろう?」と考え続けています。 万協製薬の三重県での再生が成功した理由には様々な要因がありこの短い時間では語り尽くせません。これにつきましては弊社の経営品質報告書をお読みくだされば、お解りいただけるかとおもいます。弊社ホームページにて公開しておりますので、ぜひご覧ください。 申請書にかかれている弊社のすがたは、企業再生が軌道に乗りだした2003年以降のものですが、なぜか私はそれ以前の時代のことをよく思い出します。 三重県に来た翌年、1997年の1月のことです。ようやく工場も完成し再開を目前にしたわたしは当時一社しかなかった販売会社の新年会に参加しました。 いまでは信じて頂けないかもしれませんが当時の私の月給は8万円しかなく近鉄特急にも、乗れませんでした。 パーティの会費と旅費しか持っていなかった私は、「会費15,000円で二名様まで参加できます。」と言う文書を「2名まで参加費15,000円。」と勘違いしてしまいました。 父と二人でパーティに参加しましたので実際は、30,000円の参加費が、かかってしまいました。父は途中で、神戸に帰りましたが、私は最後までいたため、終電で帰ることとなりました。 ところが、東京は、雪で電車が遅れ四日市の先の塩浜という駅で終電になりました。当時は、クレジットカードももっておらず、宿に泊まるお金をもっていないのが恥ずかしかったので四日市ではなく、その先の駅で朝まで過ごすことにしたのです。 じっとしているとあまりに寒くこごえそうだったので塩浜の工業地帯を一晩歩き続けました。 地震から2年も経つのにすごくがんばっているのに、全然お金を儲けることが出来ませんでした。真っ黒な大きな工場地帯のあいだを歩いている自分とビジネスの世界でうごめいている自分が重なったような気がしました。歩きながら「真の暗闇とはこういうものかもしれない。」と考え続けました。実は5時間くらいのことだったのですが、私にはとんでもなく長い時間でした。 これは一例ですが、震災から3年間のあいだこのようなことを考えることがたくさんありました。自分の心の中には実はこのような真っ暗な心の部分がたくさんあるように思います。 申請書には記述していないことですが、自分の中の黒い心が実は、経営品質にとても役立っているようです。黒い心をもっているからこそその反対の真っ青なあおぞらや太陽を目指すのかもしれませんね。弊社のコーポレートカラーは青色です。 わたしが青色がすきなのは、その反対をたくさんみてきたからかもしれません。 さて、伝統的な製品品質が「もの」としての製品を対象としたのに対し、経営品質は人と組織を対象としています。 また、究極的には経営品質は「経営者の道徳性の高さから生じるリーダーシップである。」ともいえます。 弊社の活動は2003年度からはじまりました。この活動は一度あきらめていた私に従業員との絆をとりもどしてくれました。カテゴリーゼロの組織プロフィールの記述を通して、どんな思い過去も従業員に伝えていきたいと思うようになりました。このことが一番うれしいことです。今日はしごとをやめにして大半の従業員が参加してくれています。(従業員紹介)今日の拍手は、私にではなく、彼らにこそ、ふさわしいものだと思います。 私は「彼ら全員を人生の勝利者にする!」なんてことは言えませんし、言いたくありません。絶対に! 会社は学校でも、宗教でも、劇団でも、自己啓発セミナーでもありません。会社のことがが過剰に従業員を縛ってしまうことを私は、とても恥ずかしい行為のように思います。 彼らこそが、私の夢づくりの仲間です。それ以上でもそれ以下でもありません。 この経営品質賞優秀賞を受賞することで、彼らが少しでも自分を誇らしく思ってくれれば、それでいいです。 そして、経営品質向上活動をつづけていくうちに、そのテーゼのひとつである「社会への貢献」という言葉からも多くの学びを得ることが出来ました。 当初は「中小企業に社会貢献?できっこない。そんなのは大企業のすること、うぬぼれもたいがいにしろ。」と思っていました。 しかしなぜか次第に、この言葉が、じわじわ効いてきたのです。 会社を逆によむと社会です。じつは「会社の目的は会社の中に社会というパブリックを1ミリでも広げていく活動のことではないか!」と最近では考えています。 「自分たちの会社があることで地域のひとはどう喜んでいるのか?」を考えることがパブリックの第一歩であると思います。弊社ではこのことが成長して、企業メセナを推進する新しい株式会社まで作ってしまいました!近々皆さんの会社にプレゼンにいきますので、覚悟しといてください! 私の心の病を治してくれて、もういちど社会づくりという機会を与えてくれた経営品質に心からお礼をいいたいです。 特に三重県経営品質協議会は大企業や中小企業といった様々な方の参加もあり様々な職種のかたが一堂に集まりワイガヤとできます。弊社では従業員教育の重要なツールとなっています。 出来ればもう少し申請する会社が増えて、くれるとよいと思います。これは、審査委員長の、岡本先生にお願いして新しいカテゴリー賞などを検討して頂ければと思います。経営品質賞は、セルフアセスメントー申請―現地審査―フィードバック会議と経営品質賞は3度、おいしいです。その上、賞をいただくと、4度おいしいです。メディカルバレーと三重県経営品質協議会の存在は、私がこちらに来て最もよかったと思う事柄です。ありがとうといいたいです! 今日はこのあと6時30分から多気町で受賞パーティがありますので、よければ参加ください。 本日は本当にありがとうございます。
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