バンキョーハートフル通信 2002.11 万協製薬株式会社 代表取締役 松浦信男 「すべての職業は、サービス業であるべきではないか。」と最近私は考えるようになりました。子供の時受けた教育で、第一次産業=農林水産業、第二次産業=製造業、第三次産業=サービス業、というくくりを思い出します。これは、実際に物を生産しない業種が増えた頃に国が付けた序列であると思います。サービス業が3番目になっているのは、いかにも経済統制の好きな官僚が考えそうな区分です。これは、工業生産物が圧倒的に少なかった明治から昭和前半までの日本の国力を表している指標です。昔は、サービスは物に付随するという考えが、一般的でした。 私の実家は神戸の兵庫区にある商店街の薬局です。名前はいせや薬局といいます。小学生だった当時の私は、サービス業=三番目だ、江戸時代から士農工商=一番下だ、と何かしら後ろめたさを感じたものでした。実際、私の父が1円しか利益のないティシュペーパーだけを買った客に深々と頭を下げることに恥ずかしさを感じていました。 あるとき父にそのことを聞いたことがあります。すると父は「商売は牛のよだれのようなものだ。」といいました。これだけだと判じ物のようで何のことか分からないですが、つまり取引金額にかかわらず相手と関係を続けていくことが大事である。いつかは利益1円のティシュの客が一万円の栄養剤を買ってくれるようにすることが大切なのである、という意味でした。この話を私はずっと憶えていて時々思い出したものです。「牛のよだれのようなものだ。」という変わった表現のせいかも知れません。 時は過ぎ私は1996年7月に三重県に来て製薬会社を始めました。1995年1月の阪神大震災で神戸市長田区の会社が全壊したのです。神戸の跡地は震災再開発地域に指定され同じ場所に工場をつくることが出来ませんでした。三重県に新しく工場を造ったはいいのですが、自社名義では2年間商品を製造していなかったのですから、仕事がありませんでした。これでは倒産してしまう!そう考えた私は知り合い全部に電話して、「どんなことでもやるから仕事を紹介して欲しい。」と言い続けました。最初に受けたのは輸入化粧品の検品作業でした。1本の作業賃が2円でした。利益を出すのは難しい仕事でした。私は子供のころ父に聞いたあの話を思い出しました。「あのたとえは製造業でも同じかもしれない。」と。それからは、どのようなお客様の要望についても全力で取り組みました。私の会社の今の仕事の中心は他社から委託をうけた医薬品の製品企画を弊社で実現することです。短くいうと「下請け」です。もちろんただいわれるままに作るのではなくこちらから提案開発もするのです。製薬会社でこのような業種は比較的新しく、お客様に説明するこが難しく、いつからか私は自社の生業を「製薬会社のサービス業です。」というようになりました。 多くの会社が弊社に仕事を出すには何らかの「負の要因」があります。言い換えれば仕事を外に出さざるをえない理由です。この「出さざるをえない理由」のために弊社は苦しむことがあります。他社にある「負の要因」が弊社にきて「正の要因」になることはないからです。しかしながらもし、そのこと(負から正への転換)ができれば弊社は「負の要因を正の要因に変えることのできる。」というサービスが広がることになります。持ち込まれるどの仕事も、やりとげることは大変ですがそれを乗り越えたところには、大きなやりがいや達成感があります。自ら行った行為を自分でなく他者に評価されることが、サービス業の本質でありおもしろさであると思います。とはいえ、中小企業のレベルです。経営者である私の仕事の大半はお客様に頭を下げることでした。最初は相手のいうことがいかにおかしいかということを相手と論議したものですが、これでは相手をやりこめることができても相手は気分を害して弊社に仕事を出してくれなくなります。私は悩みました。そんなときTVで小さな旅館の女将奮戦記という番組を見ました。女将はTシャツ姿で雑事をこなし、着物姿で客に挨拶し八面六臂の働きぶりでした。旅館と民宿の違いは女将の存在です。一番印象的だったのはなにかトラブルが会った客のところにすぐに飛んでいききれいな着物を八重におり、ひたすら頭を下げていました。本来背筋を伸ばして着る着物のかたちをくずしてまでお客様のきもちを大事にする姿に感動しました。彼女は「お客様の想いでを大切にしたい。」ということでした。私はそれを聞いて自分のやっている仕事も旅館の女将だと考えればいいではないかと思いました。 民間企業とは罪な物で、いつも「拡大再生産」を強いられています。なぜかというと、つねに他企業との競争にさらされているからです。私はいつもこのことに泣かされます。一度お金を儲けなくてもいい世界に行ってみたいと。毎日、毎日が競争で、これでは、「毎月オリンピックにでるようなものではないか!」と。しかしながらイタリア人の諺にあるように「嘆くより稼げ!」と言い聞かせているのです。海外では多くのサラリーマンが、自らが経営者になることを夢見て努力していると聞きます。日本では将来の夢として小学生が将来公務員になりたいといい、海外の子供たちは経営者になりたいといいます。この二つの職業選択の理由は大いに違います。公務員を志望する日本の子供たちは「人生に安定」を求め、経営者を志望する海外の子供たちは「人生に充実」を求めています。日本は、中小企業の経営者を低く見る傾向があるように思います。あまりに公務員の数が、多いからでしょうか?このことが子供たちの夢に影響を与えているとは考えられないでしょうか?社会的な金銭的価値を、自らの私財を投じて作ろうとする中小企業経営者を、もっとも価値のある経済人と位置づけることが、いまの日本を活性化する方法ではないでしょうか?自らリスクを背負い、事業に取り組む人々を企業の規模にかかわらず尊敬できる社会こそ健全といえないでしょうか? 私は経営者としていつも二つの仮説を心がけています。ひとつめは「こう変わったらうちの会社はもっとよくなるのではないか。」ということ、ふたつめは「こうなったら、うちの会社はだめになっていくだろう。」というふたつの仮説です。ここでいう仮説とは、こうであったらいいというような夢ではなく現実のデータ収集に基づいた「事実に則した仮説」という意味です。仮説の立てられない組織は、自己変革できません。 現在、「顧客満足度」を会社の第一目標に掲げる企業が増えました。私は、このことは、ISOよりずっと目的が明快なぶんすばらしいとおもいます。しかしながら、働く側の「働き度満足度」も同時に高めていかなければ「減私奉公」になってしまうのではないでしょうか?従業員満足度とはとどのつまり「自分の言いたいことが言える組織」だそうです。 サービスは神様の代行である、という話を聞いたことがあります。キリスト教世界の話ですが、神様は実体がないので人が他者にする善行は神の代わりの行為=サービスの語源という意味です。神がこの世にいるかどうかは別にして、神の代行(エンジェル)というところはなかなか、うまいことをいうと思います。この話をあなたはどう考えますか?日本にはジーサス一人ではなく八百万(やおよろず)の数の神様がいるそうですよ。
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