松浦信男アワー

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ハートフル通信

1999年6月号
バンキョーハートフル通信1999/06
万協製薬株式会社 代表取締役 松浦信男

 拝啓 6月になりました。いかがお過ごしですか。

 半ばを迎えた6月12日は日本薬局協励会第50回記念東京全国大会がホテルニューオータニ東京で開かれます。
50年も一つの組織として続けることはとても難しいことです。本当におめでとうございます。
 私の人生も大半は協励会のおかげで成り立ってきました。
 協励会50周年を記念に自社を振り返ってみようと思います。
 万協製薬株式会社は昭和35年3月12日に創業しました。この前身となったのは昭和25年6月から昭和29年11月まで続いた協励会兵庫東支部の有志による自家製剤研究会でした。
 メンバーは梅垣栄一、近江秀長、瀧川清、白川一忠、辻栄一、松浦太一、姫野輝夫、久松正良等の多士済々によるもので物心一如の精神を貫き日々研鑽を行っていました。
 当時は日本経済も敗戦の痛手から立ち直り医薬品産業も量産体制に移行し、小売り業界もその影響から乱売のきびしい試練に立たされました。
 そのため協励会では「製剤包装化促進委員会」をつくり自家製剤の包装を行い会員に配布していました。
 兵庫県支部でも神奈川方式にならい自家製剤を作成していました。
 その間に現在の日邦薬品工業株式会社の前身である東日本・西日本薬品(株)が発足し万協製薬株式会社もその援助をうけ株式会社として昭和35年に発足することになりました。
 創業当時のことを私の父に聞いてみると父が社長になったのは一番年が若かったからだそうです。いずれも一国一城の主の方ばかりですから役員会は大変だったそうです。
 そのうちにそれぞれ本業の薬局の経営が忙しくなり最終的には辻栄一、松浦太一の両名が実務にたずさわることになりました。
 私が万協製薬株式会社の実務かかわるのは昭和56年からですが、当時は外用薬だけでなく内服薬の散剤も製造していました。
 私自身も工場で薬を製造していながら次第に外用薬の開発・製造に惹かれていくようになりました。そしてもう一度薬学を学び薬剤師になりました。
 現在でも万協製薬株式会社のデンタルピルクリーム、レーバンGローションといった売れている外用薬は辻栄一氏の開発によるもので、氏の創られた薬はその効き目だけではなく何かしら品格を感じさせるものが多く、私にはとうていまねのできないものです。
 今でも辻氏との10数年にわたる製品開発を通じて学んだことが役にたっています。これも協励精神の伝統かと思います。
 商売だけではなく納得のいくものを造りたい。
 創業35年目の平成7年1月に阪神大震災で本社工場が倒壊してからは自社工場を持つまでに2年間かかりました。
 その間籍を東洋漢方製薬㈱に移しても私共は自らで薬を創ることにこだわってきました。
 安易な道より苦労しても自分の好きな物をつくっていきたい。それが私達万協製薬株式会社にかかわる人の思いです。
 先日の5月の連休に辻氏が入院しておられる病院にお見舞いに行きました。氏は万協製薬株式会社が三重県で新たに工場を作ったこと、順調に復興していることをいつもうれしいことと思うと喜んでいました。
 私が辻氏の製品があったから今の万協製薬株式会社があるのだと思うと話すと涙を流されました。もちろんこれらの製品をお買い求め頂いた先生方のおかげで今日がある訳です。ここにも協励精神が生きずいていることを50年の記念に思い起こして
みました。
 この9月には三重県にきて初めて開発した尿素10パーセントプラスかゆみ止め成分配合「ウレアルファ」が発売になります。
「ウレアルファ」をお手に取られましたら私の想いを感じていただければと思います。
  皆様のおかげをもちまして毎日つつがなく暮らせておりますことに感謝いたします。


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